修道院の窓から

光と影に気づくこと

ある朝、洗濯機から脱水できたものをとりあげたとき、洗濯ものにふわふわの細かい毛がついているので、これはなんだろう?と不思議におもいました。

とりあえず、一枚ずつ点検してみるとすべてに、ふわふわがきれいに付着している状態でした。

パジャマを広げると、ポケットから白いものがのぞいていたので、取り出すとティシュペーパーの切れ端でした。風邪気味だったので、ティシュをポケットにねじ込んでいたのを思い出しました。ようやく、これがふわふわの元凶であることをつきとめましたが、取り除く手段を考えなければならないという結論がでました。さもないと部屋中にふわふわをまき散らすことになります。洗濯機の内側もみごとに細かい繊維がはりついていました。このまま放置したら、次につかった姉妹も、ふわふわが飛び散る衣類を使うはめになるかもしれません。

掃除機にブラシ部分を取り付け、一枚一枚を内外にひっくりかえしつつ、ほこり吸引を繰り返しながら、「朝の貴重な時間にこんな面倒な作業を行うことは、なんということだ・・・出勤前のルチーンにしている、霊的読書もロザリオの祈りもできないぞ・・・」と内心で不平を述べていました。

そうしているうちに不平の代わりに心に浮かんできたことは、自己の“光と影に気付くこと”という生活目標のことばで、自分の内にある光と影はそれなりに気づいてはいるつもりでしたが、<今日、こんなに具体的に示してもらった!>ということでした。

物事を丁寧に行う、ことよりもいつも能率や効率、スピード優先で行動していることで、最終出来栄えは決して良くないかもしれない、丁寧さに掛け不満足な結果になる可能性もある、慎重さにかけることで人様にご迷惑をおかけすることも危険性もあるなど改めて反省したことでした。

折しも、所得税の確定申告書作成に取り組んでも、丁寧に説明書を読む忍耐力に欠け、加えて“数学は苦手”を言い訳にして完璧にやりこなせず、会計の上手な姉妹に頼っての仕上げとなりました。来年は慎重と忍耐をもって完ぺきに自力でできるでしょうか。自己の陰に気づいて、神様と隣人に喜ばれるようにならなければいけないと思いますが、互いに頼る事も人間関係には大切なことだ・・・などと、抜け道を探そうとする暗い部分を抱えていました。

2018 年 4 月