能登半島地震
感染症対策
- ミサ中におけるマスク着用については個人の任意判断としております。体調の優れない方は周囲へのご配慮をよろしくお願い致します。
野田山墓地追悼ミサ
- 2024/11/4(月) 10:00 からのミサは、野田山墓地での追悼ミサとなります。雨天中止となります。
石川地区合同堅信式
- 2024/10/27(日) 12:00 より、松浦悟郎司教様の司式による石川地区合同堅信式がおこなわれます。
2024/10/27(日) 主日ミサについて
- 金沢マラソンの交通規制のため、8:30 および 10:00 からの主日ミサはありません。ご注意ください。
名古屋教区 平和祈願ミサ 2024
神父様からのメッセージ
友だちの中の友だち
友だちというのはいいものである。小学校時代、友だちと一緒にスポーツをしたり、山や海で遊んだりと、楽しい思い出を持っている人も多いことだろう。中学校に入ると、思春期の悩みが襲ってくる。もう子供でもないが、大人でもない。性の問題にも目覚め、情緒的にもっとも不安定な時期を迎える。高校に入ると、"to be or not to be" といった人生の問題に加え、大学受験や将来の進路のことで煩悶することになる。
そんな時、両親や兄弟姉妹、学校の先生には話せないことでも、同じ年齢の友だち同士では、お互いにくったくなく話ができたのではないだろうか。友だちが話題にする本や映画など、自分でも読んだり、見に行ったり、また自分の日頃の不満や怒り、悲しみや喜びを吐露し、意図せずにお互いに支えあっていたのではないだろうか。
教会では、昨今、シノダリティが取り上げられている。が、人間としての成長過程で、まさに「ともに歩んでくれた」のが友だちだったのではないだろうか。
とはいえ、友も私も共にさまざまな限界を持つ罪深い人間にすぎない。それぞれ違う環境の中でさまざまな制約を受け、異なった人生を歩んでいる。そもそも、お互いいつまでも生きているわけではない。
ところが、いつどこでも私たちとともに永遠に歩んでくれる友がいる。悩む私たちを教え諭し、歩むべき道を指示してくれる、神の独り子、救い主イエス・キリストである。これ以上の友を見出すことはできない。「私たちが誠実でなくとも、キリストは常に誠実で」(2 テモ 2:13)、私たちを裏切ることはないと、アビラの聖テレジアは言う。というのも、主は、私たちの魂の最深部に、『霊魂の城』の最深奥に現存しておられるからだ。自分の心の中に入り、沈黙のうちに静かに主とともにいること、あるいは心から愛と信頼をもって主と対話すること、これこそ祈りだと聖テレジアは言うのである。
心の祈りとは、私たちを愛してくださっている―そのことを私たちは知っているのですが―その方と、ただ一人きりになり、たびたび交わす友情の交わりに他なりません。(『自叙伝』 8・5)
パウロ 九里 彰 神父
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