修道院の窓から

日本人の民意度

インターネットで“民意度”という私の頭の辞書にはなかった言葉が入ってきたのは、ここ数年のような気がします。主に中国人が日本旅行での印象を書き表す記事で目にするのですが、「日本は清潔、日本人は思ったより親切、普通だと思って行動しているいろいろなことが中国人にはできていないし、そんな意識さえ育っていない」という類で語られます。あることへの行動様式や生活態度、固有の文化など、様々な面で日本人は民意度が高いという驚きや称賛の意がこめられているようです。

ある日曜日、教会に向かうために長町の武家屋敷通りを歩いていると、中年の男性が急ぎ足で飛び出し、東急に向かう路地を早足に進んでいきました。片手に缶ジュースを持っているだけでした。男性の印象はジェントルマンには見えず、どんな職業の人かな?と推測不能な方でしたが、きびきびと歩いて駐車場へ右折しましたが、すぐに通りに戻り、再び歩いていきました。次の駐車場に左折してまたもやすぐに通りに戻ってきました。そこで気が付いたのは、その方は手に持った空き缶を捨てる場所を探しているのではなかろうか?ということでした。3 度目の正直とでもいうのか、東急ハンズの向かいの通りに面した駐車場には、自販機とともに空き缶、ボトルを捨てる箱が用意されていて、ようやく目的を達することができた男性は、元来た道へ戻って行きました。なるほど、どの駐車場の入り口にも飲み物の自販機がありましたが、前の 2 か所には捨てる箱の設置がなかったのでした。

あちこちに自販機がありますが、その前やらその上に、空き缶と思われるものが放置されていることを目撃することがあります。その男性はたった 1 個の空き缶のために適切な場所を探し求めて歩き回ったということが驚きで、小泉純一郎元首相のように“感動しました!”と声をかけたい心境でした。

通ってきた道にも、目前の街角にも紙くず一切れも見ることなくきれいに保たれています。普段何とも思わず感じていた街並みは、このような一人ひとりの意識があってこそ、外国人には“きれい”と感じていただけるのではないでしょうか。

当教会でもゴミの持ち帰りを推進して、みんなが協力していることも同様の意識ではないでしょうか。それは教皇様の回勅「ラウダト・シ」の実践でもあり、ゴミの少ない生き方、地球環境を守ることにつながります。日本人としての民意度だけでなく、地球人としても民意度の高い国民になるなら神様にも喜んでいただけるのではないでしょうか。

2017 年 12 月