「私の仕事はすべて終わった。」
私が金沢に派遣され修練期で共に励んだ修友たちと出会った喜びの日から、もう5年。列福式前の高山右近ゆかりの地にいる事は摂理の様に思う。旧修道院の図書室には花文字のドイツ語本を初め、旧漢字の本まで“所狭し”と納められていた。建築工事に伴い新図書室は棚のスペースにも限界があり、引越しに際し図書の選別を手がけ、高田様にも随分お世話になった。
そんな折、高山右近については、うとい私が「高山右近の生涯―日本初期基督教史」(J.ラウレス著、エンデレル書店)と背表紙に記されている本は、手にしてみたものの一寸読み始めただけで棚に戻してしまったことを覚えている。1964年秋、日本版公刊と記してあるが、少しだけ現代人の私にとっては難しかったからだと思う。
列福式への気運が高まっている9月に入って間もなく、東京、小金井の修道院から電話で「高山右近の生涯」発刊の紹介があった。「柳谷圭子さんの読みやすい現代語訳です。」とのこと。さっそく見本を送って頂くと柳谷さん、著者の手紙が同封されていました。大変心に留まった部分があったので紹介させていただきます。
「・・・600ページもあるので読むだけでも大変ですが、資料として素晴らしい本です。これまでドン・ボスコ社から私著書の聖人伝、クリスマス絵本等、何冊かを出版していただきましたが、その時分、編集長でいらした故チプリアニ師から故溝部司教様をご紹介いただきました。それはチプリアニ師からの最後のプレゼントであり、溝部司教様の最後のお仕事のお手伝いが出来たのは<神に感謝>という以外の言葉で表すことはできません。司教様は実に的確な註をつけて下さり、その後で『私の仕事はすべて終わった。』とおっしゃって検査入院に入られたそうです。司教様に出来上がった本をお見せできなかったのは残念ですが、司教様は天国からしっかりと支えて下さいました・・・。」
溝部司教様の「私の仕事は終わった!」各々おかれた場での出会い、出来事、雑務?の様に見える日々の中で一日を終える時、この言葉を声にはならなくても、口にできたら、と思う。何十年か前、柳谷圭子さんが背を支えられながら聖体拝領に向かう後ろ姿を拝見している。学生時代に事故にあわれたとのことだ。児童文学の道を歩み、柔らかい文体で書かれている絵本も読ませていただいている。
『高山右近の生涯』という何げなく手にする文庫本一冊の中に右近の生涯にも似たもう一つの重みを感じペンをとらせていただいた次第です。
2016 年 9 月