修道院の窓から

清貧とは?

聖書によるとイエス様はご自分が貧しい人々に福音をもたらすために遣わされたことを悟り、貧しい人々の側に立たれました(ルカ4:18)。イエス様は同じ道で従うようにと(マルコ10:28−30)キリスト者を招いてくださいます。修道者は「福音的清貧」という誓願によってキリストのように貧しくあることを選び、私たち自身と持っているものすべてを、宣教奉仕に当てることを誓うのです。

この福音的清貧の解釈は各個人の養成された時代と性格、携わっている使徒的奉仕などによっても、どのように生きられるか違いがあるようです。

責任ある金銭の使用は当然ですが、金銭出費を避け物質的に貧しく生きようと高潔を貫く姉妹も見受けられます。

先日、シスター B が足を引きずりながら歩いているのに気が付いた修院長が、訳をたずねたところ“靴があわなくて足が痛いのです”ということで悩んでいたことが分りました。そこで“新しい靴を買ったら?”という提案をいただきシスターBはご近所の小さな★★靴屋さんに行きました。そこでは店主の老夫婦が一生懸命あれこれと親身になって探してくれたそうです。しかし“合うものがなかった”といって悲しそうに修院長に一部始終を報告しました。

同情深い修院長は足が悪い姉妹は○○という店で、履き心地のよい靴を買ったことがあることを思い出し、シスターBに“○○に行けば足にあうものがあるから、少々高価だけれどもいい靴が買えるよ”と、再度提案をしました。シスターBはびっくりした様子で“★★靴屋さんだったら3,000円で買えるのですよ、私はもう天国に帰るのが近いかもしれないので高価なものはいりません。”と真面目に返答していました。まわりで聞いていた他の姉妹たちも、3,000円の靴を捜し求めていた姉妹の心に感心する一方、クスクスと笑ってしまいました。

そういえばこのシスターBと旅行した時のこと、夕食を買って電車に乗りました。彼女のお弁当はといえば、“安いものがあったわ”と選んできたものでした。食べようとしてわかったことは、「きしめんセット」でついているスープとネギを火で熱くして煮て食べるものでした。

私たち自身ともっている財源を宣教奉仕のために分かち合い、霊的にも物質的にも貧しく生きることで、神様への信頼に生きようと努力をしています。

2009 年 3 月