サンタクロース考
サンタクロースとは
サンタクロースは、ヴァイナハツマン(ドイツ)、ペールノエル(フランス)、ファーザークリスマス(英国)、テラポ(ハンガリー)、バッボナターレ(イタリア)、パパノエル(スペイン他)、等各国で呼び名は違いますが、いずれもクリスマスに子供達へプレゼントを持ってくる人物として知られています。その起源は、4世紀にギリシャのリキア(現トルコ)という町に実在した司教、ニコラウスという人物に由来します。彼は、中世のキリスト教徒に最も崇敬された聖人のひとりでした。
聖ニコラウスの伝説
聖ニコラウスについては中世のウォラギネが『黄金伝説』の中で詳しく述べています。
幼年時代には、ほかの少年たちがよろこぶ楽しみごとや遊びには仲間入りしないで、熱心に教会にかよった。教会で聖書からおぼえたことは、いつも真剣にこころに留めていた。父と母が死んだとき、莫大な遺産を人間の名誉のためでなく、神をたたえるために使うにはどうしたらよいかと考え始めた。
生れは貴族だが、貧乏な隣人がいた。その人は、娘が三人あって、困窮のあげくに、春をひさがせ、娘たちの恥辱で得たお金で暮らそうと考えた。聖ニコラウスは、これを聞いて、その罪深さにおどろいた。彼は、金塊を布につつむと、夜ひそかに貧しい隣人の家に窓から投げこんで、そっとまた帰ってきた。隣人は朝になって金に気づき、神に感謝し、その金で長女の結婚式をあげた。それからしばらくして、聖ニコラウスは、もう一度おなじことをした。貧しい隣人は、ふたたびたくさんの金を見つけると、こころから神をほめたたえ、困っている自分にこんな援助の手をさしのべてくださる奇特な神のしもべはだれであろうかとおもって、これからは見張りをしていることにした。その後まもなく、聖ニコラウスは、以前の二倍の金塊を隣家に投げこんだ。隣人は、金塊が投げお落とされた音で眼をさまし、あとを追いかけて、「どうかお待ちください。お顔をお見せください」とさけんだ。そして、彼に追いついて、聖ニコラウスであることを知った。隣人は、彼のまえにひざまずき、足に接吻をしようとした。ニコラウスは、それを押しとどめて、自分が生きているあいだはこのことをだれにも言わないでほしい、とたのんだ。
この伝説がベースとなり、金塊が金貨に、布が靴下に、などど変化していきました。
サンタクロースとクリスマス
オランダからのアメリカ移民が1624年にニューアムステルダム(後のニューヨーク)を建設したとき、自国の習慣や言い伝え等とともに、守護聖人Sinterklaas(スィンタークラース)も持ち込んだと考えられます。そして、ワシントン・アーヴィングが1809年に『ニューヨーク史』の中で「スィンタークラース」を英語風の発音で「サンタクロ−ス」としてしまっています。この聖人の祭日は12月6日でした。そのため、ヨーロッパの多くの国々では、12月の6日が伝統的に贈り物を交換する日でしたが、12月24日/25日のクリスマスにプレゼントを交換する習慣とあいまって、後者が優位に立ちつつあるようです。そして、トナカイのそりに乗ってクリスマスプレゼントを運ぶ人としてのサンタクロースは、1849年にクレメント・クラーク・ムーアの『クリスマスの前の晩』の挿絵にボイド氏によって描かれた赤い服をきたサンタクロースが原型のようです。また、1862年にはトーマス・ナトスが司教の祭服からヒントを得て衣服をデザインしました。その後いろいろな出版物の中で現在のサンタクロースのイメージが出来上がっていったようです。
サンタクロースの今日的意味
毎年クリスマスの頃には、全世界でサンタクロースが駆りだされ、現代の伝説を新たに彩ります。町にあふれるクリスマス商戦は、クリスマスの本当の意味を混乱させ、ただ強欲と消費主義をあおるだけだと懸念する人もいます。クリスマスの真の宗教的意味に合致するために、サンタクロースが愛と、慈しみと、惜しみなさを象徴する聖ニコラウス(彼の聖遺物は、イタリアのバリの大聖堂に保存されています)という聖人の伝説から生まれたものだということを常に念頭におき、このクリスマスを過ごしたいと思います。