神の御前では皆等しく愛されている

21. 道具たちの誇り

あるとき、大工の工房で、とてもめずらしい会議が開かれたのだそうです。 それは格差是正のための大工道具たちの会議でした。

かなづちが議長席に着きました。が、会議は彼に罷免をつきつけました。 理由ですか? 音がうるさすぎるからです! 四六時中ものを叩いてばかり。 たまったものではありません。かなづちは自分の非を認めました。でも、彼は、 ねじにも退場を要求しました。ぐるぐる何度も回さない限り 何の役にも立たないと言うのです。

ねじもまた、この攻撃を認めました。でも、彼の方からは、 やすりの退場を要求しました。やすりは当りがとてもざらざらと粗っぽくて、 いつも周囲との摩擦を生んでいるから、ですって。

やすりも非を認めました。ただし、今度は曲尺を退場させるという条件付きです。 曲尺は、いかにも自分だけが完全だという顔をして、いつでも自分の物差しで 他の者たちを測るから、だそうです。

そこへ大工が入って来て、前掛けをかけ、仕事を始めました。 大工はいろんな道具を使いました。かなづちも、やすりも、ねじも、曲尺も…。 粗野な木材だったものがみるみる変身して、最後に美しい家具になりました。

工房がまた彼らだけに戻ったとき、会議は審議を再開しました。 のこぎりが発言したのはそのときです。

「皆さん、私たちそれぞれに欠点があることはじゅうぶん分りました。けれども、 大工はそれぞれの特性を使って作業します。私たちを役立つものにしているのは その点なのです。ですから、私たちの悪い面を考えるのはもうやめにして、 良い面の有益性に論点を絞りませんか?」

すると、議会は気が付きました。かなづちが力強いこと、ねじがものをくっつけて 強度を与えること、やすりがざらざらしたものを磨いてきれいに仕上げる役割を 果たしていること、曲尺が精密で正確なこと…。

こうして彼らは、自分たちが質の高い家具を生み出せるひとつのチームなのだ ということに気が付きました。自分たちの能力も、自分たちが一緒に働いていることも、 何だかとても誇らしく思えました。

人間にも同じことが言えませんか?

欠点を見つけることはたやすく、どんな愚かな人間にもできます。でも、長所を見つけることは 高度な精神作用です。およそ、人類のあらゆる偉大な業績を思いつけるくらいの、たいへん高度な 精神作用なのです。人の長所を見出せるような誠実さで人と接することができるなら、人類最高の 実りが次々と得られるに違いありません。

【聖書から】

…わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きを していないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、 各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった 賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を 受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。 施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は快く行ないなさい。 (ローマの信徒への手紙12:4-8)