神の御前では皆等しく愛されている

15. 最後の家

 ある大工が年老いて引退を決意し、請負契約をしていた住宅建設会社に「これからは家族といっしょに人生を楽しみたいのです」と辞意を告げた。

 社長は、個人的な注文として最後に1軒だけ家を建ててもらえないかと頼んだ。大工は引き受けた。だがすぐに、もう仕事に熱中できないのが分った。今までのような気配りができず、建材も、つい、質の落ちるものを使ってしまうのだった。生涯の職業の最後を飾るにしては、なんとも情けない仕事ぶりだった。

 大工が仕事を終えると、社長が家の立会い検査にやって来た。検査の後、社長は家の鍵を大工に渡してこう言った。「さあ、この家を受け取ってください。これは、私からあなたへの退職祝いです」。

 大工は驚いた。何という無念。建設中の家が自分のものだと知っていたら、全く違う建て方をしていただろうに!

 日々、自分の人生を建設している私たちも同じです。私たちはよく、一段劣る建材を積み上げてしまいます。そして、自分が建てた家に住まなければならないと気付いたとき、しまった、と後悔するのです。もう一度建て直せるのなら全く違う建て方をするでしょう。あと戻りはできません。でも、これからがあります。

 私たちは大工です。毎日、私たち自身の人生の釘を打ち、木材を据え、壁を塗っています。今日の私たちの行ないや私たちの選択が、明日私たちが住む「家」を作り上げることになります。

 キリストのうちに、賢明な建て方をしましょう。

【聖書から】

 あなた方自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。(ペトロ第1の手紙2.5)

 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。(コリント人への手紙2 5.1)