13. れんがの傷
あるバリバリの青年実業家が最新型ジャガーをびゅんびゅん飛ばしていると、道で合図を送っている少年がいた。彼は巧みに少年をよけ、脇を通り抜けようとした。少年をろくに見もせず、スピードをも落とさなかった。
すると、ドアに何かが当った。あわてて車を降りて見ると、れんががぶつけられて大事な高級車に傷がついていた。
彼は走って行って少年の両腕をつかまえ、どなりつけた。「見ろ、この傷を。ひとの車になんてことする!」彼はかんかんになってどなり続けた。「新車だぞ。おまえがれんがをぶつけたんだ、弁償しろよ。高いんだぞ。なんでまたこんなことを!」
「すみません、どうか、どうかゆるしてください。どうしたらいいのか分らなくて。だれも止まってくれないから。だから、れんがを…」。少年のほおを涙が流れ落ちた。
彼は傍を示した。「ぼくの兄です。兄の車いすが脱線して地面に転げ落ちて。ぼくの力じゃ持ち上げられないから…」。しくしく泣きながら少年は聞いた。「あのう、兄を車いすに座らせるのを手伝ってくださいませんか? 兄はけがをしています。ぼくは持ち上げられない。ぼくひとりじゃ重すぎるんです」。
青年実業家は衝撃を受けた。少年のことばがナイフのように突き刺さり、つばを飲みこんだ。たった今受けた感銘を胸に、彼は少年の兄を地面から抱き上げ、車椅子にもう一度座らせた。そしてハンカチを取り出して傷と汚れを少し拭ってやった。
これで大丈夫と思って少年を見ると、少年は何とも言えない無上の喜びの笑顔でお礼を言った。「あなたに神のお恵みがありますように。ほんとに、ほんとに、どうもありがとうございました」。少年は、力をふり絞って兄の重い車いすを懸命に押しながら、よろよろと遠離って行った。青年実業家は、彼らがみすぼらしい小さな家へ行き着くまでずっと見守った。
青年実業家は車のドアをまだ修理していない。れんがの傷はそのままだ。
人生、窮地に立った隣人に気づかずに通り過ぎてしまうほど急いで突っ走るべきではない。大切なことのために甘んじてれんがのひとつもぶつけられなければならないことがある。傷は彼にこのことを思い出させてくれるのである。
【聖書から】
イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の衣服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカ10:30-37)