神父様からのメッセージ

戦場のクリスマス

 「戦場のクリスマス」というと、最近作られた映画を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、1914年、第一次世界大戦の西部戦線、昼夜を分かたず、迫撃砲と機関銃のうなりがやまないフランドル地方の激戦地で、クリスマスが英独両軍の間で奇跡的に祝われたのです。

 開戦はその年の7月、すでに半年が経過。岩だらけの平野に延々と掘られた塹壕の中で、両軍の兵士は泥まみれ、疲弊しきっていました。クリスマス・イブの夜、英軍兵士は国王のクリスマス・カードを、独軍兵士は皇帝のメッセージを読んでいました。夜も更け、降り続いた霙も止み、気温はどんどん下がっていきました。その時、中間地帯の向こうから、ドイツ兵の歌う「きよしこの夜」(カトリックでは「しずけき」)が聞こえてきたのです。やがてイギリス兵も「きよしこの夜」を歌い始めます。歌声の輪は広がり、大合唱となり、その後、何曲もクリスマスの歌が歌われました。

 朝になると、「メリークリスマス」と書かれたカードが塹壕の両側に高々と掲げられ、兵士は一人、また一人と武器を置き、塹壕を出、有刺鉄線をくぐり、中間地帯に出ていきました。最初はわずかな兵士たちでしたが、見る見るうちに数が増え、大勢の両軍の兵士が朝の光の中、握手を交わし、肩を抱き合ったのです。その後、お酒や煙草をプレゼントしたり、家族や恋人の写真を見せ合ったり、サッカーをしたり、戦死者を埋葬したりと、ベネディクト15世の提案したクリスマス休戦がはからずも実現したのです。

 その後、戦闘は再開され、両軍の兵士はほとんど亡くなりました。生き残ったわずかな兵士たちが、この奇跡的な美しい話を伝えてくれたのです。

 人間よ、どうして兄弟を殺さなければならないのか。国や家族のために死ねと命令する人々の心の中に、マリアとヨセフを泊め、キリストの誕生する場所はあるのか。天使のメッセージは、暗闇の中で寝ずの番をしていた羊飼いたちにもたらされた。ちょうど暗い塹壕の中で夜を過ごしていた英独両軍の若い兵士たちに、「聖夜」の歌声が湧き上がったように。

パウロ 九里 彰 神父