神父様からのメッセージ

主の平和

 今年も 8 月 15 日に終戦記念日を迎えます。1941 年 12 月 8 日の真珠湾攻撃から 1945 年のこの日まで、足かけ 5 年間、日本は米英蘭豪や中国と戦い、民間人を合わせれば 300 万人以上の人がこの戦争の犠牲者となりました。対戦国(特に中国)や巻き込まれたアジア諸国の犠牲者の正確な数は、いまだに分かっていません。

 日本のカトリック教会は、すべての犠牲者を悼み、毎年 6 日から 15 日までの 10 日間を「平和旬間」として、戦争のない世界の平和を心を一つにして祈っています。

 ちなみに、私たちはミサの中で、「主の平和」、「主の平和」と平和の挨拶を互いに交わします。日本では頭を下げ、お辞儀するだけですが、外国では握手やハグ(抱擁)が普通です。接触するので、相手の体温がじかに伝わってきます。一概にどちらが良いとは言えませんが、礼儀を重んじる日本式挨拶は、外国の人には物足りなく感じられるかもしれません。

 それにしても、私たちは、どれだけ平和の挨拶の言葉の重みを受け止めているのでしょうか。復活された主は、ユダヤ人を恐れ、家に閉じこもっている弟子たちに、「あなたがたに平和があるように」という言葉を二度繰り返されます。そして彼らに「聖霊を受けなさい」と息を吹きかけられ、罪の赦しを与える使命を託されます(ヨハネ 20・19-23)。それは、言うなれば、まことの平和である「主の平和」を人々にもたらす使命だとは言えないでしょうか。私たちは、この「主の平和」を、個人的にも共同体的にも生きるように招かれているのです。

 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。…(エフェソ 2・14-15)

パウロ 九里 彰 神父