天国への道
私は天国への道を歩いているでしょうか。イエス様からお答えを聴きましょう。
『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとへ行くことが出来ない』と(ヨハネ14,6)。日々の生活において、忠実にイエス様が生活とお言葉を通して示して下さる道を歩いているなら、確実に「父のもと」(天国)への道を歩いていることになります。
なお、洗礼によってイエス様に結ばれた私たちは、このつながりを何よりも大切にして、イエス様の後を歩いているでしょうか、という反省を常に求められているように感じます。「イエス様の後を歩く」とは、イエス様の教えを、常に日々の生活の中で生きることの意味です。
イエス様の次のお言葉をもって、日々の生活の中で、その教えを生きることの重要性を強調しておられます。『わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように、手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなた方は既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなた方につながっている。ぶどうの枝が木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなた方も私につながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなた方は何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう』と(ヨハネ15,1-6)。
なお、もう少し先を読んでみると、イエスにつながっていることの意味が示されています。「わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなた方も、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」と(ヨハネ15,10)。やはり、イエスの掟を守ることこそ天国への道です。