神様はご自分を私たちに対して負い目ある者とされた
私は聖アウグスティノの上記の言葉を思い出すたびに、深い感動を覚えます。神様は、私たちに対してご自分を負い目ある方とされるほど、私たちを愛してくださるでしょうか。聖アウグスティノがあげている理由を読んで納得しました。神様が、私たちに対してその負い目ができたのは、私たちから何かを受け取ったからではなく、偉大なことを私たちに約束なさったからです。それも、ただ言葉だけではなく、そのお約束を成文化してまでも、その義務を引き受けられました。言わば、ご自分の約束を載せた契約書を私たちと交わされたのです。そのお約束はみな聖書に書かれています。
さて、その主なお約束は何だったでしょうか。神様は私たちに永遠の命を約束して下さいました。また、終わりなく天使たちと共にいる幸福な命、朽ちることのない遺産、永遠の栄光、神のお顔を見る喜び、天にあるご自分の聖なる住まいを約束され、死者の中から復活の後に、もはや死に対する恐れがないことを約束してくださいました。その上、そのすべてのお約束に与るための道も示してくださいました。人となられた御ひとり子イエス・キリストは“道”となってくださいました。この道を歩んで行くならば、必ずそのすべてのお約束に与ることができます。不幸なことには、罪を犯した場合でも、悔い改めさえすれば、その罪が“海の深みに投げ込まれる”というお約束までもいただいています。人となられた御ひとり子がその罪を背負って十字架の上にご自身を償いとして奉げてくださったからです。
なんと素晴らしいお約束!それを思うとき、心が感謝と喜びに満ち溢れてきます。
「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って、御前に進み出よ」(詩篇100)