復活祭を迎えて
毎年、桜の頃、キリスト教はイエス様の死を想起し、その復活を盛大にお祝いしています。今年それをお祝いするのは、4月16日(日)となっています。
イエス様の復活の事実は、私たちキリスト者の信仰の源泉となっています。イエス様は、生前、ご自分の受難と死を3回ほど予告されました。その度に「3日目に復活する」と加えておられます。その通りになりました。
復活は、イエス様が全人類の罪をその身に背負って、ご自身を償いとして、十字架の上でお奉げになった供え物が、神様に受入れられたことの印です。復活は命の勝利、イエス様が勝ち取ってくださった命の勝利です。私たちもこの勝利に与ることを約束されています。
復活信仰は、キリスト教特有のもので、その土台となっています。イエス様の復活がなかったならば、キリスト教もないはずです。使徒パウロもこのことを強調しています。
コリント教会に送った第一の手紙(15章14節−15節)の中で次の言葉を書いています。「キリストが復活しなかったとしたら、私たちの宣教も無意味なものであり、あなた方の信仰も無意味となるでしょう。それどころか私たちは、神について偽証したものということになります」と。
更に、使徒パウロはキリストの「死と復活」をキリスト者の信仰の中の、最も大切な信仰箇条としています。『私が、まず最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは・・・キリストが・・・私たちの罪のために死んでくださったこと・・・葬られたこと・・・また、3日目に復活したこと、そしてケファ(ペトロ)に現れ、ついで、12人に現れたこと。それから500人以上の兄弟に同時に現れました。そのうちの大多数の人は、今なお生き残っていますが、死の眠りについた人もいます。その後、ヤコブに、ついで使徒であるものすべてに現れ、最後には・・・私にも現れてくださいました。』(1コリント15章3−8)と。
イエス様の復活は、キリスト者の信仰の源泉であり、土台であるので、私たちは深い喜びと感謝を持って年毎にそれを盛大にお祝いしています。