復活の喜びを申上げます
キリスト教は毎年の春にイエス・キリストの復活を深い喜びと感謝をもって、盛大にお祝いします。イエス・キリストの復活は私たちの信仰の頂点となる真理だからです。イエス様は、苦難を受けられた後、三日目に復活されました。40日に渡ってご自分が生きていることを数々の証拠をもってお示しになりました。復活したイエスは、ご自分の体に触れさせたり、食事を共にしたりして、弟子たちと直接に交わられました。こうして、ご自分が亡霊ではないことを認めるよう、体を見せ、その体が十字架につけられた体であることを納得させようとしておられます。受難の傷跡を帯びている体をお見せになります。イエスの受難によって受けた打撃はあまりにも強かったので、弟子たちは復活の知らせをすぐには信じられなかったほどでした。「この話はたわごとのように思われた」(ルカ24,11)のです。
イエスは彼らに現れたとき「その不信仰とかたくなな心をお咎めになりました。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、キリストはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずではなかったか」と(ルカ24,25-26)。また、亡霊を見ているのだと思って、恐れおののいている弟子たちに「何故うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。私の手と足を見なさい。まさしく私だ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、・・・それは私にある」と(ルカ24,37-39)。
キリストの復活は、この世の命への復帰ではありませんでした。復活したキリストの体は、聖霊の力に満たされています。栄光の状態で神の命にあずかって、新しい特性を備えています。もはや時空の内には置かれず、御父の神的領域に属するものとなっています。
イエスキリストの復活が、キリスト教信仰において、どれだけ重要であるかを使途パウロは明記しています。「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」と(1コリント,15,17)
キリスト教信仰はイエスの復活の上に成り立っています。年毎に、その復活を盛大にお祝いするのはその為です。