復活=命の勝利
「枝の祝日」をもって「聖週間」に入りました。3人の福音者(マタイ・マルコ・ルカ)は、揃って受難に関するイエス様の3回ほどの予告を記しています。その第3回目の予告はかなり詳しい内容のものです。
「いよいよ私たちはエルサレムに上っていくが、『人の子』は大祭司や律法学者たちに渡される。彼らは『人の子』に死刑を宣告し、そして異邦人に渡す。異邦人は『人の子』をあざけり、つばを吐きかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。しかし、『人の子』は三日の後復活する」(マルコ,10,33-34)。
この予告の通りになりました。十字架の上で亡くなられたイエス様は、三日の後復活されました。
復活は命の勝利です。私たちもこの勝利に与らせて頂けることを信じて、使徒パウロの次の言葉をもって叫びます。
「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか・・・私たちの主イエスキリストを通して、私たちに勝利を賜る神に、感謝しよう」(1コリント15,55-57)。
復活祭は命の勝利を喜び祝い、感謝する祭日です。日曜日ごとに、私たちは必ずミサに与り、「命の勝利」を祝い、聖体拝領によって深い感謝をもって、復活されたイエス様を心の中でお迎えします。ご聖体となったパンを消化することによって私たちの体に復活の種が蒔かれます。
復活祭をお祝いする季節の自然も「命の力」を見せてくれます。死んでいるように見えた木々、花、草がまた生き返って、美しい花を咲かせます。自然界での「命の勝利」です。さて、心の置き場であった主イエスが取り去られ、十字架にかけられ亡くなったとき、「三日の後復活する」というお約束を信じることができなかった弟子たちは絶望のどん底に陥ってしまいました。エマオの二人の弟子は皆の心情を吐露しています。「私たちの祭司長たちや議員たちは、あの方(イエス)を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。私たちはあの方こそイスラエルを贖って下さると望みをかけていました。しかもその事があったから、もう今日で三日目になります」と。(ルカ24,20-21)
幸いに、この日から40日にも渡って、何度も復活のイエス様との出会いに恵まれた弟子たちは立ち上がることができたのです。そして、一人も残らず、皆復活の証人として殉教しました。
「人々はイエスを木にかけて殺しましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました・・・私たちは、イエスが復活した後、ご一緒に食事をしました」と。(使徒言行録10,39-41)