神父様からのメッセージ

悪のつまずき

 「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」と。(創世記1,27)

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と。(創世記1,31)

 上記のお言葉にあるように、紙はご自分にかたどってお造りになった人間を中心とする被造物界をご覧になって「極めて良かった」と、高い評価をしておられます。

 それなら、何故人間の社会に悪が存在するようになったでしょうか。この問題には、どのような即答も満足がいかないと思います。でも、聖書全体の教えを聴けば、いくらかわかるようになると思います。

 人間が「神の似姿」に造られたというのは、神の命と光栄にあずからせるお考えがあったからではないでしょうか。確かに、そのお考えが神にあったと思います。そのご計画があったために、知恵と自由意識もお与えになりました。人間が自ら行動して、造られた目的の達成に向かって進むことができるものとなさいました。換言すれば、神はご計画の実現の協力者の資格を人間に与えられたのです。

 ところが「全知」ではない人間は「善悪の識別」を誤ることもあり得ましょう。識別を誤った場合は、目的の達成に導く正道を踏み外すことになります。悲しいことには、人間は最初から道を踏み外してしまったのです。

 神は、究極目的に「向かう途中」の者として人間を造り、その目的の達成に人間側の協力を求めておられましたが、人間はそのご期待に応えることができませんでした。

 ところで、神様はそれを知っておられたはずなのに、なぜ、人間に自由意志をお与えになったでしょうか。それは、自由意志を持っていなければ、人間はただのロボットのような存在となって、「神にかたどった」ものではなくなるからではないでしょうか。神は、ご自分の光栄と命への招きに、自由に応えられる存在を造ることをお選びになったのです。何故でしょうか。それは、創造の業よりも、さらに優れたご計画を持っておられたからではないでしょうか。人間のすべての罪を自ら背負って、ご自身がその罪を償う「救済」の業を考えておられたと思います。

 この業を通してご自分の愛の深さを示したかったのではないでしょうか。