神父様からのメッセージ

『持っている人はさらに与えられて豊かになる。
持っていない人は持っているものまでも取り上げられる』(マタイ25,29)

 「タラントンの例え話」(マタイ25,14-30)の結びの言葉です。例え話の主人がとった処置は、一見したところでは公平を欠いたものに見えるかも知れません。でも、注意して読んでみると、そうではないことに気づきます。

 自分の財産を「それぞれの力に応じて」、3人のしもべに預けた人の話です。その3人の中の二人は預かった財産を上手に運用して、それを倍にして返すことができたので、主人に褒められました。ところが、もう一人は預かったものを増やそうという意欲がなかったので、預かったものを、そのまま差し出したとき、主人から「怠け者の悪いしもべ」と、強く叱られた上、それを取り上げられたのです。「さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、10タラントン持っている者に与えよう。誰でも持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」と。

 最後の言葉に注目しましょう。「持っていない」人は「持っている」ものまでも取り上げられると。この人が「持っていないもの」と「持っているもの」とは、別々のものを差しています。例の「怠け者の悪いしもべ」が「持っている」ものは主人から預かったタラントンで、「持っていない」のは、他の二人のしもべと違って、そのタラントンをうまく運用して、それを増やそうという「熱意」でした。その結果は、持っているものまでも取り上げられて、それを有効に運営するしもべに渡されてしまいました。主人のとった処置は正しいと思います。

 なお、例えの主人は神様です。私たちは神様のしもべです。神様から預かった賜物は多いと思います。その内で、最も貴重なものは信仰ではないでしょうか。信仰は私たちを永遠の命に導くものだから、命よりも貴重な宝です。この宝を有効に運用して、実を結ぶ「熱意」を持っているでしょうか。この反省を促されているように感じます。この熱意をもっていなければ、いづれこの賜物を取り上げられて他の人に与えられることになります。そして「この役に立たないしもべを外の暗闇に追い出せ。そこで泣き喚いて歯ぎしりするだろう」という大変悲しい結果になります。

 信仰の賜物を有効に運用するとは、ミサと秘跡に与かる熱意、毎日の祈りや聖書を学ぶ熱意、学んだことを生活の中で実践する熱意ではないでしょうか。その熱意を欠いている人は、いづれこの賜物を取り上げられてしまうでしょう。その例はこの教会にも見られることがあります。