神父様からのメッセージ

クリスマスによせて思うこと

 「Homo homini lupus」(人は人に対して狼となる)と、ずっと昔から言われてきたことわざです。まったくその通りだと思います。過去を振り返ってみると、また今の人間社会の現状もまったくこのことわざの通りになっていることを疑う人はいないでしょう。自分の利益のみ追求する人間は他者に対して狼になってしまいます。全世界の富の59%を、わずか数人で所有しているという事実もこのことわざの真実性を裏付けている状況です。非常に悲しい状況です。被害者は数えきれないほどです。

 この非常に悲しい状況の原因はどこにあるのでしょう。人間の心に深く根付いているエゴイズム、貪欲、野心にあるのではないでしょうか。これらの欲が人間の心を支配している限り、この悲しい現状は改善される術はないと思います。

 ところで、愛-正義-真理であられる神様の似姿に作られたはずの人間はなぜこんなに見苦しい姿(狼の姿)に成り下がってしまったのでしょうか。それは、神様から目をそらせたからではないでしょうか。人間は、神様からあずかった被造物界に目がくらんで、それを奪い合うようになったのです。その結果、人間社会はいわゆる「勝ち組と負け組み」にわかれてしまったのです。本来、被造物は平等に分配されるように、人間にあずけられたものなのに・・・。エゴイズム、貪欲、野心が造った悲しい状況です。時たま、一家族においてさえも、そういう見苦しい人間の姿が見えます。遺産を分けるときになると、兄弟同士のいざこざが起こります。やはり人間の心は物の欲しさに溺れやすいものです。

 さて、クリスマスにお祝いする偉大な出来事を見つめると、人間の心の見苦しさが一層目立ちます。神の子が一人の人間としてお生まれになった出来事。神の子は貧しい馬小屋で生まれることを選び、その誕生が真っ先に知らされたのは、当時の社会に見下げられていた羊飼いでした。馬小屋で生まれたのは「宿に場所がなかったから」と(ルカ2,7)書いてありますが、実はその時を、その状況を、神は人間として生まれるために、自らお選びになったのだと思います。また、真っ先に羊飼いをお呼びになったのも、弱者側に立つことをお選びになったことを示すためだと思います。

 「キリストは、神の身分でありながら・・・人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで従うものとなった」と。(フィリピ2.6-8)

 私たちの心が乱れた欲望から解放されますように祈りたいものです。