イエスキリストは、まことに復活された。
共に喜び祝いましょう!
私たちは、ミサの中で「信仰の神秘」と言う司祭の宣言に対して、皆で「主の死を思い復活をたたえよう、主が来られるまで」と答えます。ミサのとき私たちはイエスの死によって示された神の限りない愛を心にかみしめ、その復活によって死さえも神の支配のもとにおかれていることを思い起こします。この信仰は心の大きな支えとなっています。
主イエスは、すべての人間の罪を背負って償いの供え物として、十字架の上でご自身をささげて下さいました。その復活は、神がイエスの供え物を受け入れて下さったことを表す不思議な出来事です。
さて、弟子たちにとっても、イエスの復活を信じることは決してやさしいことではなかったようです。イエスの悲惨を極める最後を目の当たりに見た彼らは絶望のどん底に陥ってしまったのです。女性達も「週の初めの日(日曜日)朝早く墓へ行ったとき、墓が開けられたことを見て思ったことは、主が墓から取りさられた」と。その知らせを受けたペトロとヨハネは墓へ駆けつけて、中を調べたところ「イエスのご身体を包んでいた亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは・・・。離れた処に丸めてあった。」と(ヨハネ福音書20・1〜10)その状況を見た二人は呆然として成すところを知らなかった。墓が荒らされた様子もないし、何が起こったでしょうか?「イエスは、必ず死者の中から復活されると言う聖書の言葉を理解していなかったのである」と。彼らはイエスのお口から三回ほど受難と復活の予告を聞いていたのに・・・。
復活の夜、弟子たちが“食事をしている時イエスが現れ、その不信仰と頑な心をおとがめにになった。”(マルコ16・14)また、弟子の一人トマスに「私を見たから信じたのか、見ないのに信じる人は幸いである」と。(ヨハネ20−29)
その後、40日にわたってすべての弟子は、何度もイエスに出会って、その復活を確認することが出来た結果、復活信仰に命をかける勇敢な者となり、皆殉教したのです。
イエスキリストはまことに復活された。共に喜び祝いましょう!
約2000年にわたってキリスト教は世界の人々に向かって、深い喜びをもって、この強烈な呼びかけを続けてきたのです。