神父様からのメッセージ

人間の尊厳とその命の尊さ

 人間の命が今、相対主義的で実利主義的な文化が助長する危険に脅かされていることは周知の通りです。そこでは、人々の感性が鈍り、人間の命はどのような段階や状況においても固有で平等な尊厳を持つことを認識できなくなっています。従って、私たちキリスト者は今までにも増して、祈りと行いにおいて「命の民」となるように求められていると思います。キリスト者は「命の文化」を証する重大な責任を負っています。そこで、人間の尊厳及びその命の価値と不侵性を明確に再確認する必要性があると思います。

 聖書は次の箇所で、人間の尊厳を称えながら、その存在の目的を問いかけています。「あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。

月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めて下さるとは 人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。
神にわずかに劣るものとして人を造り
なお、栄光と威光を冠としていただかせ
御手によって作られたものをすべて治めるように
その足もとに置かれました」と。(詩篇8,4-7)

 なお、神は一人の人間として、この世に誕生することによって、人間の尊厳やその命の尊さがいっそう浮き彫りにされ、その存在目的も明らかにされました。

  事実、神は人となることによって、ある意味で自分自身をすべての人間と一致させたと言えましょう。教会は、様々な理由で、人間の命がないがしろにされている世界状況を「死の文化」と呼び、すべてのキリスト者に「命の民」となって「命の文化」を再建するようにと、強く呼びかけています。あらゆる段階での命、受精の段階からその最後の段階まで、命を尊重し、擁護し、守り育てること、命に敬と愛を示すことは、人間に委ねられた重大な義務です。

  人間の命をむしばみ、その人生を除外するすべての悪を取り除いてくださるよう、主に祈りながら、それぞれの立場で、できることを一生懸命にやっていきたいと思います。