ひととき立ち止まって考えてみよう
“人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる”(マタイ福音書4章4節)
生きるには“パン”は必要です。“パン”とは、食べ物だけをさすのではありません。この世のものすべてをさすのです。健康、お金、名誉、友情、愛、など。こうした事柄に、人は生きていく喜びや意味を見出します。それを幸福と呼ぶこともあります。しかしこれらのものは、やがて過ぎ去る性格のものです。
生きるために食べるのか、食べるために生きるのか。もし生きるために食べるのなら、何のために生きるのでしょう。人は何故この世に生を受けたのでしょう・・・。自分の意思で生を始めたのでもなければ、終えるのでもありません。人生は自分の自由と意思によって刻まれていくものです。しかし自分の望みや計画のままにならないことも多くあります。予測しなかったことも起こります。悪いことだけではありませんが、多くの偶然的要素が支配している人生・・・その与えられた人生の中で、人はその意味と目的を見出し、追求していくのです。こうしてその都度、何らかの目的を設定して生きていくのです。でも、そのすべては人が人生の途上で立てる中期目標のようなものであり、その一つ一つは、生きていく目的そのものであるとは言えるでしょうか。その計画はうまくいくこともあれば、失敗することもあります。例えその目標を達成するとしても、それがその人が生まれてきた目的とは言えるでしょうか。
人の生きる目的そのものは、それらを超えた永遠不滅の何かにあるのではないでしょうか。人間の心はこの永遠不滅の何かを求めているのです。生きていく内に、徐々にこの究極の関心に目覚め、それを追求するのです。その関心事を満たすのは“神の口から出る言葉”ではないでしょうか。ご自分にかたどって人間を創造された神は、常に人間の心に呼びかけておられるのです。