メリークリスマス!!!
平和と喜びがすべての人に。
クリスマスは主イエス・キリストのお誕生を喜び祝う日です。
福音書はイエス様の誕生の次第を述べています。
当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にありましたので、ローマ帝国の皇帝による勅令は絶対的なものでした。したがって、勅令が命じる内容にはすべての人が従わなければならなかったのです。
当然、例外は認められませんから、臨月のマリア様も命じられた通り、ガリラヤのナザレから本籍があるユダヤのベツレヘムへと長い旅をして、住民登録をしなければなりませんでした。その結果旅の途中、しかも住民登録のために多くの人が押し寄せてきたために、人でいっぱいになっていた宿屋には泊まる場所がなかったので、動物達の小屋でひっそりと生まれることになりました。それも天の御はからいでした。母マリアは“赤ちゃんを布にくるんで飼い葉おけに寝かせた”と書いてあります。その誕生は誰の目にもとまらなかったはずですが、神様の御使いは、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちのところを訪れて、それを知らせたのです。
“私は、すべての民におよぶ大きな喜びの訪れをあなた方に告げる。今日、ダビドの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった・・・あなた方は布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう”(ルカ2、10-12)。
さて、イエス・キリストは神の身分でありながら、このような誕生を遂げられたことに深い意味があると思います。いずれイエス・キリストご自身がその意味を説いてくださるでしょう。
“人の子(私)が来たのは、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人の身代金として、自分の命を捧げるためである”(マルコ10、45)
また、使途パウロはその意味をさらに詳しく示して下さいます。
“キリストは神の身分でありながら、・・・自分をむなしくして、しもべの身となり、・・・死に至るまで、十字架の死に至るまで、へりくだって従うものとなった”(フィリイピ2,6-8)。
動物達の小屋は、仕えるために、またすべての人間の罪をご自分の身に受けて、その身代わりに十字架の祭壇の上でご自身を捧げるために天からこられたイエスの人生にふさわしい“スタートライン”ではなかったでしょうか。