“友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない”
イエス様のこのお言葉を、身をもって実行したコルベ神父を紹介することにしました。1894年ポーランドで生まれ、1918年司祭になったコルベ神父は1930年、ゼノ修道士を伴って来日しましたが、6年後にまたポーランドに呼び戻されました。
1941年2月27日、ポーランドを占領していたナチスの憲兵に連れていかれ、5月28日に“死の抑留所”アウシュビッツに閉じ込められました。
その約2ヶ月目。7月の末、囚人にとってもっとも恐ろしいことが起こりました。第14号舎から一人の逃亡者が出たのです。この事件は囚人に大きな衝撃を与えました。なぜなら、一人の逃亡者が出た場合、その報復として20名が餓死刑に処せられることを知っていたからです。
7月31日午後3時逃亡者が見つからないので、餓死室に送られる10人の囚人が呼び出されました。その時、その中の一人が突然叫んだのです。「私には家内と子供がいるのだ。もう一度会いたい」と。しかしその悲痛な叫びが黙殺されて、ただ「裸足になって歩け」と所長の命令でした。皆が歩き出そうとしたその時、皆を驚かせる言葉が聞こえました。「妻子のいるその人の身代わりになって死にたい」と。その声が聞こえたほうを見つめて、所長は「お前は誰だ」と聞くと、「私はカトリック司祭です」と。コルベ神父でした。しばらく続いた沈黙のあと、「よし、おまえがいくがよい」と。
10人の受刑者が餓死室に閉じ込められてから14日間過ぎた8月14日、聖母被昇天祭の前日、その10人の中4人しか生存者はなく、意識のあるのはたった一人、コルベ神父だけでした。なかなか死なない彼を殺すことになりました。死の注射を持って餓死室に入ってきた看守を見ると、神父は自分から腕を出していたそうです。
このようにしてコルベ神父は47年の生涯を閉じたのです。彼が深く崇敬し、慕っていた聖母マリアの被昇天祭を、諸聖人とともに天国で喜び祝うのに間に合ったのです。
“友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない”・・・まさにコルベ神父は、身をもってこのイエスの言葉を実行することができたのです。