神父様からのメッセージ

キリストは私のうちに生きておられる

 “天の国は次のように例えられる。畑に宝が隠されている。見つけた人はそのまま隠しておき、よろこびながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う”(マタイ13,44)

 復活のキリストの不思議の出会いによって、パウロの価値観は逆転しました。パウロにおいて、まさにイエスの上記のお言葉が実現しました。彼は“隠された宝”を見つけたとわかって、その宝“イエス”のために喜んで自分の持ち物をすっかり売り払った方です。

 パウロの“持ち物”とは、彼の過去のことです。彼をイエス・キリストの迫害者に駆り立てていた熱意、先祖からの伝承を守るのに人一倍の熱心さが彼の大切な持ち物でした。ところが、これらの大切な持ち物も“キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさに、塵あくた”(フィリピ3,8)と見なすようになりました。

 主イエス・キリストのあまりの素晴らしさに強く魅せられたパウロはこの宝をどんな艱難の中にあっても、決して失うまいと固く決心していました。

 “私は確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高いところにあるものも、他のどんな秘蔵物も、私たちを主キリスト・イエスによって示された神の愛から引き離すことはできないのです”(ローマ8,38-39)

 その通り、パウロは艱難、苦しみ、迫害の中にあっても、イエス様から離れることがありませんでした。イエスのために忍んだ迫害などは、パウロ自身が述べています。

“ユダヤ人の手から40に一つ足りない鞭を受けたことが5回、鞭で打たれたことが3度、石を投げつけられたことが1度、難船したことが3度、一昼夜海上に漂ったことがありました。しばしば旅をし、川での難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟からの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました”(2コリント11,24-27)。

 それだけパウロが主イエスに強くむすばれて、イエスの力のおかげで、与えられた使命を全うすることができました。