神父様からのメッセージ

ペトロ岐部と 187 殉教者の列福にちなんで

 11 月 24 日長崎でペトロ岐部と 187 殉教者の列福式が執り行われます。私たちの金沢教会からも巡礼団を編成してそれに与かる予定です。

 この列福式は日本のカトリック教会の今年の最大の式典といえましょう。私たちは全国の教会と心を一つにしてこの日を喜びと感謝を持って迎えたいと思いますから、先月の5日から始まった“共に祈る7週間”を、司教団が準備してくださった冊子に基づいて、祈りのうちに日々を過ごしております。

 このたび列福される殉教者は、数名の司祭を除いて皆信徒ばかりです。禁教令や迫害がなかったなら、彼らはごく普通の庶民として生涯をおくっていた人々です。彼らのなかに少なくても 20 組の夫婦もいたそうです。二人は同じ心をもって、命よりもキリストを選んで夫婦の愛を死ぬまで突き通しました。また殉教者の中に少なくても女性は60人も、15歳以下の少年と子供は26人、高齢者も多かったそうで、80歳の方もいました。年齢・身分・性別の異なった殉教者たちは私たちの心に強く響いてくるメッセージをおくって下さっているように感じます。迫害にもめげず、彼らの信仰の強さ…この地上の命かキリストか…その選択を迫られたとき、彼らがキリストを選ぶことができたという事実がいろいろと考えさせられます。

 殉教は信仰の最大の証です。私たちはそれほどの証を求められることがないかもしれませんが、家庭生活や社会生活において信仰の証を立てることの難しさを感じる時もありましょう。信仰をすべてに優先させることの難しさ…これも一つの小さな殉教です。天からの助けがあってこそその長い殉教を遂げることができるようになると思います。その助けをいただくために、私たちは日々の祈りや御言葉の傾聴や秘蹟、とくにミサにあずかることを何よりも大切にしております。

 世間で生活しながらも、聖人になった人は数えきれないほど多いと思います。身分・性別・年齢が関係なく、誰でも聖人になれます。列福されないから聖人になっていないというわけではありません。私は多くの聖人に出会ってきました。試練の中にあって“神のみ旨”を受け入れて、不屈の信仰でそのすべてを耐え忍んだ人たち…柔和で、謙虚で、愛の実践に励み、信仰の素晴らしい証を立てていた多くの人たちに出会ってきたことを私は深く感謝しております。昔読んだ聖アウグスチノの“si isti et istae cur non ego?”(彼らと彼女らが聖人になれたなら、私は何故なれないだろうか)という言葉を忘れたことがありません。ならないなら、努力が足りないからではないでしょうか。