キリストが私のうちに生きておられる 〜No.1〜
使徒パウロの生誕2000年にあたって、教皇様は今年の6月28日から来年の6月29日まで“パウロ年”として特別の聖年を行うことを宣言されました。
異邦人の使徒として宣教したパウロの生き方や働きを振り返って彼の切実な思いを私たち一人一人の鏡として日々取り組んでいくことが望まれているように思います。そこで何回かにわたって使徒パウロの足跡を追うことにしたいと思います。
使徒パウロは“ローマの信徒への手紙”の冒頭で“キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ”と自らを紹介しています。
パウロはかつてキリスト者の激しい迫害者でしたが、彼を根本的に変えた不思議な体験に恵まれました。すべてのキリスト者を男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するため、ダマスコという町に向かっていた時のことでした。復活のキリストと出会ったということです。“使徒言行録”はその出来事を三度にわたって記しています。(9,1-19;22,3-16;26,2-18)
パウロ自身もその手紙のなかで、この不思議な体験を示唆する箇所がいくつか見られます。“あなた方は、私がかつてユダヤ教徒としてどのように振る舞っていたかを聞いています。私は徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、私を母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出して下さった神が、御心のままに御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにしました。”(ガラテヤ1,13-16)。パウロはこの体験のあと、“私にとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、私の主キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、私はすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。”(フィリピ3,7-9)
パウロの言葉から明らかなように、復活のキリストとの出会いを通して、彼の価値観はまったく変えられてしまったのです。パウロがひたすらにキリストを告げ知らせるようになったのも、この時からです。