神父様からのメッセージ

預言者イザヤの神体験!(続き)

 積み重なる神体験はイザヤを大きな視野の中に“時間”における神の働きの展開をみるように導いた。神の“沈黙”に対しても、イザヤの信頼が揺るがない原因はこの信仰にあったと思います。苦しみの中にある人間の嘆きは神さまの前にある。神さまは、それにふさわしい時がきたら、必ず助けの手を差し伸べてくださることを彼は固く信じていた。

 母国を追われて、バビロンに流されたイスラエルは、いつまでたっても帰国を許されないので、神に見捨てられた思いで嘆いている。イザヤはイスラエルを次の言葉ではげましている。

1)

“シオンはいう。主は私を見捨てられた。私の主は私を忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親は自分の産んだ子をあわれまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも私があなたを忘れることはない。見よ、私はあなたを私の手のひらに刻みつける”と。(49,14-16)

2)

“わずかの間、私はあなたを捨てたが、深いあわれみをもって私はあなたを引き寄せる。ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが、とこしえのいつくしみをもってあなたをあわれむとあなたをあがなう主はいわれる。山が移り、丘がゆらぐこともあろう。しかし、私のいつくしみはあなたから移らず、私の結ぶ平和の契約がゆらぐことはないとあなたをあわれむ主はいわれる”(54,7-8.10)

3)

“あなたたちは乳房に養われ抱いて運ばれ、ひざの上であやされる。母がその子をなぐさめるように、私はあなたたちをなぐさめる”(66,12-13)

 大変美しい言葉。神さまの心を読み取ったイザヤのこの言葉を心にしっかりと刻んでおきたい。イザヤを通して神さまはこのお言葉を私に語ってくださることを信じているからだ。

詩篇の祈り。

“私の魂よ、主をたたえよう。私のうちにあるものはこぞって聖なる御名をたたえよう。主は私の罪を許してくださる。東と西が遠いように、主は私のそむきの罪を遠ざけてくださる。父がその子をあわれむように、主は私をあわれんでくださる。”