聖週間・復活の主日の祭儀の時間
3月28日 聖木曜日(主の晩餐) 晩7時から
3月29日 聖金曜日(主の受難)(大斎・小斎) 晩7時から
3月30日 聖土曜日(復活の聖なる徹夜祭) 晩7時半から
3月31日 復活の主日 8時半、10時、晩6時から
復活祭っていつお祝いするの? ――復活祭論争のお話――
キリスト教の典礼行事の中で、クリスマス(降誕祭)に並ぶ大祝日、それが復活祭です。
しかし、祝日の日にちが「12月25日」と固定しているクリスマスと違い、復活祭は毎年祝日が変わります。つまり「移動祝日」なのです。
聖書には、復活祭そのものが具体的にいつ行われていたかについての記述はありません。ただ、最後の晩餐がユダヤ教の「過越の祭」を祝うための過越の食事でもあったこと、そして初期キリスト教会による「キリストの受難と死と復活が、救済と魂の復活を迎えるための過越しの生贄」だとする考え方により、この伝統的な「過越の祭」の枠内で行われていたと考えられています。
しかしその日付の解釈は、初期のキリスト教会において、ユダヤ教古来の「過越の祭」に合わせようとする派と、「過越の祭」直後の主日に行おうとする派に分かれ、2世紀から4世紀にかけて大きな論争を巻き起こしました。これを「復活祭論争」といいます。
双方の派の代表が話し合った結果、初期キリスト教会の中ではお互いに主張を認め合い、それぞれの習慣や伝統に基づいたやり方で復活祭をお祝いすることにしましょうということになりました。しかし時代が下がるにつれ、再びどちらか一方に統一しようという動きが見られるようになったのです。
そこで西暦325年、ニカイア公会議において、ユダヤ教の暦準拠ではなく、主日に重きを置く案が採用されることに決定しました。その算出方法も「春分の日の後の満月の次の日曜日」と決められ(これは現在も使用されている算出方法です)、これで復活祭論争は決着を見たのです。
―――ですが。
その後16世紀に、西欧社会がグレゴリオ暦を取り入れたことにより、算出方法は同じでも、新暦のグレゴリオ暦を使う西方ローマ教会と旧暦のユリウス暦を使う東方教会との間に、再び復活祭の主日が食い違ってしまうという現象が起こるようになってしまいました。
この問題については今でも協議が続けられていますが、最近では話題に上ることも少なくなりいまだ統一には至っていません。そういった意味では、まだ復活祭論争は決着していない……とも言えるのかもしれません。
もしかしたら、大切なのは日付よりもキリスト様の復活をお祝いする気持ちなのだということが、心のどこかでわかっているからなのでしょう。
それにしても。
1700年以上もかけた論争が、めぐりめぐって振り出しに戻っているというのもなんだか面白いものです。