神の御前では皆等しく愛されている

06. サーカスにまさるもの

 子供の頃、私は父にサーカスを観に連れて行ってもらった。入場券売り場の長い列に並ぶと、私たちのすぐ前に子供を8人連れた夫婦がいた。子供はたぶん全員12歳以下だろう。みんなとても粗末な身なりをしていた。

 子供たちはひどくはしゃいで、これから観るピエロや、象のことなどを話していた。聞こえる会話から、彼らがサーカスに来たのは初めてだと分った。妻はとてもうれしそうに夫を見た。全員をサーカスに連れて来るために夫婦がどんなに苦労したかが見て取れた。

 彼らの番が来て、売り子は何枚ですかとたずねた。夫は誇らしげに答えた。「子供8枚と大人2枚ください。」

 売り子は彼に料金を言った。その瞬間、夫婦は絶句し、固まってしまった。思いもしなかったことだ。何度も計算したはずだ。値上がりしたのか。しかし、サーカスを観るのに必要なお金が足りなかったなんて、どうやって8人の子供たちに言えよう。

 それを見ていた私の父は、ポケットから20ドル紙幣を一枚わざと落とした(私たちは決して金持ちではなかった)父はしゃがんで紙幣を拾い上げ、前の男の肩を叩いて言った。「あのう、ちょっとすみません。あなたのポケットからこれが落ちましたよ。」

 男は父の考えていることが分った。施しを請うたわけではない。しかし、この絶望的でつらくきまりの悪い窮地に、父の好意は明らかに救いだったに違いない。男は両手で父の手を取って父の目をまっすぐ見つめ、20 ドル紙幣を手にし、くちびるを震わせ、頬に一筋の涙を伝わらせて言った。「ありがとう、ありがとう、旦那。これは、ほんとに、私と私の家族にとって、大きな意味のあることです。」

 父と私は車に戻り、家へ帰った。サーカスは観られなかった。でも、無駄に出掛けたのではなかった…。私は父のあの行動を決して忘れない。それは、サーカスを観たら観たで楽しかっただろう。でも、あの夜、私は父から尊い教えを受けたのだ。生涯私の心をゆたかにしてくれた教えを。

【聖書から】

 受けるよりは与える方が幸いである。(使徒言行録20:35)

 弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる。(箴言19:17)

 友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い。(箴言14:21)