トップページへ

 三人の博士たち、星に導かれて東方より来る

 イエス様がお生まれになったその時、遙か東方から占星術の博士たちがイエス様を訪ねてやってきました。それがプレセピオや聖誕劇などでもお馴染みの「東方三博士」です。
 しかし、一般に「三博士(三人の博士)」とされてはいますが、実際の人数は実は不明なようです。唯一博士達についての記述のある「マタイの福音書」にも「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」とあるだけで、複数ではあるものの具体的な人数については言及されていません。
 では何故「三博士」と人数が特定されたのか。それは、博士達が持参していたイエス様への贈り物に起因するようです。
 福音書によれば、博士達が持参した贈り物とは「黄金」「乳香(にゅうこう)」「没薬(もつやく)」の三種類とされています。どれも当時大変高価で、生活の上でも宗教儀式においても欠かせない必需品でした。また、この贈り物にはそれぞれ意味があって、黄金は「王権」を、乳香は「神性」を、没薬は「死と受難」を表しているとされ、神の子としてお生まれになったイエス様が歩まれるであろう道程を暗示しているかのようです。
 このように、贈り物が三種あることから、イエス様を礼拝に来たのは三人の博士であるとする説が後に定着しました。そして七世紀になると、それぞれの博士に「メルキオール」「バルタザール」「カスパール」という名が当てられるようになりましたが、これは西方教会における説で、正教会などでは別の名が当てられていることから真偽のほどは定かではありません。

 

 そもそもこの博士達、一体どのような人たちだったのでしょうか。
 福音書によれば「占星術の博士」となっています。当時の「占星術」とは即ち「天文学」のことで、単に吉凶を占うだけではなく、天体の運行を読みとり、時にはその結果が政治大きな影響を与えることもある最先端の科学でもありました。
 そのような重要な責務に携わる博士達がどのような身分であったのかは、ヘロデ王に謁見したときの様子からも垣間見ることができます。
 彼らは、王に謁見した際「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と発言しました。目の前に(例えローマ皇帝に帰順しているとはいえ)王と名が付く人間がいるにも関わらず、です。
 ヘロデ王は、史実によれば大変猜疑心が強く、敵対する者は例え身内であろうと容赦なく手に掛ける人物であったそうです。そんな人物の目の前で「あなた以外に王が生まれた」などと発言したのですから、普通ならただではすまされないでしょう。しかし彼らは丁重に扱われ、後日ヘロデ王自身から「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と、預言の地であるベツレヘムへと送り出されているのです(勿論ヘロデ王は拝むつもりなど毛頭なかった訳ですが)。

 

 ユダヤ教徒ではなく(東方から来た、という記述で彼らが異教徒であることは明白で、ゾロアスター教の祭司であったという説もあります)、天文学という最先端の学問を修め、王からも畏敬の念をもって扱われる博士達。彼らが相当高い身分であったことは想像に難くありません。事実、後の時代になって彼らは東方諸国の王であったとされるようになりました。
 ヘロデ王の許を辞した後、星の導きに従って彼らは馬小屋で眠る幼子を見つけます。
 見るからに貧しい庶民の子とその両親であるにも関わらず、彼らは喜びに溢れて高価な贈り物を捧げ、伏して拝んだと福音書は書いています。「賢者」とも称せられる彼らにとって、豪華な宮殿に住まいし、権力をほしいままにするヘロデ王よりも、預言と星の指し示す馬小屋の幼子こそが、敬意を払うに値する存在であったとは、何とも意味深長ではないでしょうか。
 イエス様を礼拝した後、博士達はヘロデ王の許には戻らず別ルートで故郷へと帰っていきます。これは夢で、王の許へ戻るな、とのお告げがあったため。もし戻れば、例え賓客である彼らとはいえ、ただでは済まなかったでしょう。ヘロデ王にとって、預言のメシアが生まれるのは、自分の王位を揺るがす一大事だったのですから。
 聖書における彼らの記述は此処までです。しかし、伝説によると、彼らは後に洗礼を受けキリスト教の布教に携わったと言われています。また、ドイツのケルン大聖堂には、彼らの遺骨(であるとされる)を納めた棺が安置されています。

 

 僅かな記述しかないにも関わらず、様々な伝説に彩られ、敬われ続ける異国の博士達。
 真偽のほどはともかくとして、生まれたばかりの愛らしい幼子を目の当たりにした彼らの表情が、どれも優しく綻んでいたことだけは確かなのでしょうね。


東方三博士の礼拝
ルーベンス
   
金沢教会のプレセピオ