2007 年クリスマス特設ページ

飼い葉桶のわら

 昔、世界中を旅している人が、ある村里へやって来た。野や畑や、それを横切って流れる美しい小川に旅人の心はなごんだ。村の家々は素朴な造りで、入り口が大きく開かれていた。旅人は驚いた。彼の出身地では全く違っていたからだ。ある家のそばまで来ると、もっと驚いたことに、3人の子供たちが出て来て旅人を招き入れた。その両親は、ゆっくり泊って行きなさいと旅人に言ってくれた。

 旅人は、泊めてもらっている間に、パンを焼いたり、地面を耕したり、牛乳を絞ったりするなど、多くの作業を学んだ。しかし、ひとつだけ意味がわからないことがあった。毎日、父さんも、母さんも、子供たちもみんな、マリアとヨゼフと茶色のロバと牝牛の像が置いてあるテーブルのところへ行って、マリアとヨゼフの間にわらを一本、うやうやしく置くのである。何日か経つと、わらが積み重なってふんわりして来た。

 旅立ちの日が来た。家族は彼の道中のために焼きたてのパンと果物を渡し、彼を抱きしめた。旅人は去り際に振り返ってこう言った。「美しいこの瞬間、ここからひとつ持って行きたいものがあります」。当然、家族は聞いた。「旅に必要なものがまだありましたか」。旅人は答えた。「いいえ。みなさんがマリアとヨゼフの足元にわらを積んでおられたのはなぜなのか、答えがほしいのです」。

 彼らはほほえんだ。一番下の子供が答えた。「ぼくたちは、何か愛の行ないをするたびに、わらを1本、かいばおけに持って行くんです。イエスさまがお生まれになったら、マリアさまが赤ちゃんを寝かせる場所ができるでしょう。愛が少なかったらおふとんはうすくて寒くなるし、もっとたくさん愛の行ないができたら、ふかふかになって、イエスさまはもっと暖かくて気持ちよくなれるでしょう」。

 これを聞いて旅人は感心した。クリスマスまで留まりたかったが、この純朴な家族の心を他の村々にも伝えよとの内なる声に促され、村をあとにしたのである。

提案 : ご降誕祭のために、この家族のようにわらを1本1本積み重ねて飼い葉桶を用意しましょう。心からの愛の行ないで飼い葉桶をいっぱいにし、お生まれになったイエスさまに、私たちの愛の行ないのひとつひとつを気持良く感じていただけるようにしましょう。

いちばんいい贈り物

 1994年、二人のアメリカ人がロシアの教育省に招かれ、キリスト教精神に基づく倫理道徳教育を行なうことになった。二人はロシアでいくつかの刑務所、商店、消防署、警察署を回り、それから孤児院へ行った。この巨大な孤児院には、親に捨てられたり虐待されたりした子どもが約100人、行政の手にゆだねられていた。以下は二人が語った話である。

 「1994年のクリスマスが近づいていました。孤児たちは、昔ながらのクリスマスの話を初めて耳にすることになりました。私たちは子どもたちにマリアとヨゼフがベトレへムにやって来た話をしました。宿屋には泊まるところがなく、彼らは馬小屋へ行き、そこでイエスさまがお生まれになり、飼い葉桶に寝かされました、と」。

 「私たちが話している間、子どもたちと職員たちは釘付けになって聴いていました。何人かは、一言も聞き漏らすまいとして丸椅子から乗り出していました。話を終えると、私たちは、子どもたちに小さく切った厚紙を3枚ずつ渡し、飼い葉桶をひとつ作るように言いました。それから、黄色の紙ナプキンを四角く切り分けたものを渡しました。それは私が持参して来たナプキンでした。町には色つきのナプキンがなかったものですから」。

 「子どもたちは私たちの指示通りにその紙を裂いて、ていねいに飼い葉桶に敷きました。赤ちゃんの布団は、格子縞のフランネルを小さく切ったものを使いました。これは、あるアメリカ女性がロシアを去るときに捨てて行った、着古したねまきから取ったものです。赤ちゃんは、私たちが合衆国から持って来た茶色のフェルトを人形に切って作りました」。

 「私は、孤児たちが飼い葉桶作りに専念している中を見回り、助けが要るかどうかを確かめて行きました。すべてうまく行っているようでしたが、小さなミーシャのテーブルのところへ来ると、ミーシャは6歳ぐらいの男の子でしたが、もう作業を終えていました。私は飼い葉桶を見て驚きました。この子の飼い葉桶の中には赤ちゃんが一体ではなく、二体置いてあったのです」。

 「私はすぐに通訳を呼び、なぜ飼い葉桶の赤ちゃんが二体なのか、男の子に聞きました。彼は腕を組み、仕上がった自分の飼い葉桶を見ながら、とても神妙な口調で、物語をもう一度繰返し始めました。こんなに小さな子供がたった一度だけクリスマスの話を聴いたにしては、彼は物語を正確に語りました…。が、マリアが幼子を飼い葉桶に寝かせるところまで来ると、そこからミーシャの付け足しが始まりました。話の結末を独自に創作して、彼はこう話しました。

 『マリアさまがイエスさまをかいば桶に寝かせたとき、イエスさまはぼくを見ました。そして、行くところはあるの、とぼくに聞きました。ぼくはイエスさまに言いました。ママもパパもいないから、ぼく、行くところがないんだって。そしたら、イエスさまが言いました。じゃあ、わたしといっしょにいていいよって。だけど、ぼくはできないと言いました。みんなみたいに、イエスさまにあげるおくりものがないんだもの。だけど、ぼくは、とてもイエスさまといっしょにいたかったので、何かあげるものないかなって考えました。そして、もし、ぼくの体温でイエスさまをあたためてあげられたら、それがいいおくりものになるかな、と思いました。

 ぼくはイエスさまに聞きました。もし、ぼくがあたためてあげたら、それっていいおくりもの? イエスさまは答えました。もしわたしをあたためてくれたら、それは、もらった中でいちばんいいおくりものだよ。そこで、ぼくはかいば桶に入りました。そしたら、イエスさまはぼくを見て言いました。いっしょにいていいんだよ、いつまでも…』。

 語り終えると、小さなミーシャの目からあふれ出た涙がほっぺを伝って流れ落ちました。彼は手で顔を覆い、テーブルにうち伏し、肩を震わせて何度もしゃくり上げました。この小さな孤児は、決して自分を捨てたり虐待したりしない人をみつけたのです。いつまでもいっしょにいてくれる人を」。

 「ミーシャのおかげで私は学びました。大切なことは、人が生涯で持っているモノではなく、生涯でだれを持っているかということです。ミーシャに起ったことは想像ではないと私は思います。いつまでもいっしょにいるよう、イエスさまがミーシャを本当に招かれたのだと思うのです。イエスさまはすべての人にこの招きをなさっておられます。けれども、招きの声を聞き取るには子供の心を持たなければなりません」。

愛はこの世で最も偉大な神秘である。

このクリスマスがあなたにとって人生最良のものとなりますように。

金色の箱

 私たちが子に学ぶことはよくある。何年も前のクリスマス、私の友人が3歳になる自分の娘を怒鳴りつけて叱った。金色のラッピングペーパーを無駄遣いしたという理由だった。女の子はクリスマスツリーの下に置くプレゼントの箱をその紙で飾ろうとしたのだが、当時の家計がやや苦しかったものだから、彼はついカッとなってしまったのだ。怒鳴られたにもかかわらず、女の子は次の日の朝、彼に金色の箱を持って来た。「パパ、これ、パパにプレゼント」。

 友人は自分の行き過ぎた態度を反省してどぎまぎした。しかし、その箱を開けて、またしてもむっとしてしまった。箱は空っぽだったのだ。「分らないのか。だれかに贈り物するときは、中に何か入れるものだろう?」

 女の子は涙ぐんだ目で父親を見て言った。「おお、パパ。空っぽじゃないわ。わたし、この箱にいっぱいキス入れたの。全部パパにあげるキスよ。パパ」。

 父親は感服した。彼は娘を両腕に固く抱きしめ、ゆるしを請うた。「僕は何年もの間、その金色の箱をベッドのそばに大事にしまっていた」と友人は私に言った。打ちひしがれるようなことがある度に、彼はその箱から目に見えないキスをひとつ取り出し、箱いっぱいくれた娘の愛情を想って励みにしていたそうだ。

 言ってみれば、私たちは皆、親になったときから、子の無条件の愛とキスがいっぱい詰まった金色の箱をそれぞれ贈られているのかもしれない。およそ親が持ち得る物の中で、この金色の箱ほど貴重な、他のだれも持ち得ない宝物はないだろう。

生徒からのプレゼント

 これは、T先生という小学校の女教師の話である。新学期の第一日目、小学5年生の受け持ちのクラスで彼女は生徒たちにウソを言った。大抵の教師と同様、彼女は生徒たちを見回し、先生は分け隔てなくみんなをかわいく思っていますよ、と言ったのである。

 だが、それはあり得なかった。最前列の座席にS君という生徒が沈むようにして座っていたからだ。T先生は前年にS君を観察していたが、ほかの子たちとは遊ばないし、服は汚れたままだし、お風呂にも長いこと入っていないようだった。S君はいやな子かもしれない。とうとう、T先生はエンマ帳に赤インクの太字ペンでメモ書きし、くっきりバツ印を付けて片付けてしまった。

 T先生の学校では、新担任教師は各生徒のこれまでの足跡をチェックすることになっている。彼女はS君のチェックを最後に回した。しかし、S君のデータを見たとき、T先生は驚いた。

 1年生のときの担任はこう書いていた。「S君は聡明で快活である。きちんと勉強し、行儀がよい。周りを明るくさせる」。

 2年生のときの担任はこう書いていた。「S君はすばらしい生徒である。級友から尊敬されている。が、母親が末期の病気なので辛い思いをしている。家庭は戦闘状態にちがいない」。

 3年生のときの担任はこう書いていた。「彼にとって母親の死は厳しい経験だった。本人は何とか頑張ろうとしているが、父親はあまり関心を示さない。対策を講じないと家庭状況のせいで彼に悪い影響が出るだろう」。

 4年生のときの担任はこう書いていた。「S君はだらしがない。学校にあまり興味を示さない。友達はいないし、時々授業中に居眠りをする」。

 いま、T先生はようやく問題に気付き、自分を恥じた。さらに心が痛んだのは、生徒たちが彼女にクリスマスプレゼントを持ってきたときだった。プレゼントはみんなきれいなリボンとぴかぴかの紙で包んであった。S君のプレゼント以外は…。彼のプレゼントは、食品店の紙袋から取ったむさ苦しい茶色の紙でおざなりに包まれていた。みんなの前で、他のプレゼントといっしょにS君のプレゼントを開けるのは気が引けた。包みの中から、玉がいくつか欠けたジルコニットのブレスレットと、四分の一しか残っていない香水ビンが出てくると、生徒の何人かは笑い出した。しかし、その笑いはすぐに消えた。T先生が、まあ、何てすてきなブレスレットなの、と感嘆しながらそれをはめ、手首に香水をちょっぴり付けたからである。

 その日、S君は授業が終ってからも教室に残った。たったひと言を言うために。「T先生、先生は今日僕の母さんと同じにおいだ」。生徒たちが下校した後、T先生は1時間近く泣いた。

 この感動的な日以来、T先生はS君に特別の目をかけた。教えているうちに彼の頭脳は生き返った。励ませば励ますほど彼はそれに素早く応えた。一年の終わりにはS君はクラスで最も優秀な生徒のひとりにまでなっていた。そして、分け隔てなくみんなをかわいく思っているとウソを言ったにもかかわらず、S君は先生の「お気に入り」のひとりになった。

 一年後、T先生の家の戸口の下に一枚の書き付けが入っていた。S君からだった。先生は今でもこれまでの生涯で受け持たれた最高の先生です、とあった。それから6年経ち、S君からまた書き付けが届いた。今度は、「高校が終わりました。先生は今でも生涯最高の先生です」と書いてあった。

 それから4年経ち、先生に手紙が届いた。そこには、「いろんな困難がありましたが、何とか耐えて大学を続けました。もうじき優等で卒業できます」と書いてあった。そして、「先生は今でも我が生涯最高の、そして最愛の先生です」と結んであった。

 さらに4年経ってまた手紙が来た。今度は、「学士号を取ってから、もう少し先へ進もうと決心しました」と書いてあった。やはり「先生は今でも我が生涯最高で最愛の先生です」と結んであったが、今回は署名がやや長かった。S君のフルネームに「博士」がくっついていたのだ。

 話はここで終わらない。春になってまた手紙が届いた。S君はある女性と知り合い、結婚することになった。ついては、2年前に父親が亡くなったため、挙式のとき通常なら新郎の母親が座る席にT先生に坐ってもらえないだろうか、と聞いてきたのである。もちろんT先生は承諾した。そして、お分かりだろうか。T先生は、ジルコニットの玉がいくつか欠けた、あのブレスレットを着けて行ったのである。S君の記憶に残る香水、母親と一緒に過ごした最後のクリスマスに母親がつけていたという香水も、ちゃんとつけて行った。二人は固く抱き合った。今は博士となったS君は、T先生の耳元でささやいた。「T先生、僕を信じて下さって有難う。僕に自信をつけさせ、僕にもものごとが変えられることを教えて下さって、ほんとに有難う」。

 T先生は目に涙を浮かべ、S君にささやいた。「S君、それはまるっきり違いますよ。ものごとを変えることを私に教えてくれたのはあなたの方です。あなたに出合うまで、私は教えるとはどういうことなのか分っていませんでした」。