神の御前では皆等しく愛されている

01. クッキーをめぐる裁定

ある日の午後、上品な身なりの婦人が駅へやって来ると、自分の乗る列車が1時間遅れるという案内があった。婦人は少々がっかりして、時間をつぶすために雑誌1冊、クッキー1包み、それにペットボトルの水を1本買った。ホームでベンチを探し、待ち時間を覚悟して座った。

買った雑誌を読んでいると、一人の若者が傍に座り、新聞を読み始めた。すると、思いもよらない光景が婦人の目に入った。その若者が、一言も断らず、すっと手を伸ばし、クッキーの包みから1枚、また1枚とつまんで、はばかることなく食べ始めたのである。

婦人は腹が立った。下品な真似はしたくなかったが、この状況を見過ごすのも、何ごとも起こらなかったのだと納得するのも嫌だった。そこで、彼女は大げさな身振りで包みを手にし、クッキーを1枚取り出すと、若者の目の前にそれを突きつけてから、彼の目をしっかりにらみつけながら口に入れた。

すると、若者はそれに応えてクッキーをまた1枚取り出し、彼女を見つめながら自分の口に放り込んで、にっこり笑った。婦人は腹が立って露骨に不快感を示し、また1枚取り出すと、今度もしっかりと若者をにらみつけながらそれを食べた。

にらみつけとほほえみの応答が、クッキーからクッキーへと続いた。婦人はますますいきり立ち、若者はますますにこやかになって行くのだった。

とうとう、包みのクッキーは最後の1枚になった。婦人は若者とクッキーの包みを交互に見ながら、『まさか、そこまでぶしつけじゃないわよね』と思った。ところが、若者は平然と手を伸ばして最後のクッキーを取り、実になめらかな動作でそれをきっかり半分に割った。そして、愛情深いしぐさで、最後のクッキーの半分をベンチ友達に差し出したのである。婦人はそれでも「ありがとうっ!」とお礼を言って、乱暴にクッキーの半分を受け取った。

そのとき、彼女の列車が発車を告げた。婦人は激怒しつつベンチから立ち上がり、客車に乗り込んだ。列車が動き出すと、まだホームに座っている若者が車窓から見えた。何て無礼な、何てぶしつけな人でしょ!… と彼女は思った。憎しみをこめて若者を睨みつづけていると、先刻からのいら立ちのせいでのどがからからになっているのに気付いた。ハンドバッグをあけ、水のペットボトルを取り出そうとして、彼女は完全に凍り付いた。

バッグの底に、自分のクッキーの包みが、まったく手つかずで残っていたのである。

私たちは幾度となく、恐れもせず、よく考えもせず、深く知りもせず、時として間違っているのは実は自分の方なのだとも気づかずに状況を裁いてしまいます。それにも増して、私たちは幾度となく他人の弱さを裁き、イエスさまが私たちに赦すことを命じたのを忘れています。

【聖書から】

イエスは言った。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。彼らは、くじを引いてイエスの衣を分けた。(ルカ23,34)

どうして、自分の目にある丸太に気付かないのか。兄弟の目にある塵は見えるのに?(マタイ7,3)

兄弟たちよ、お互いを悪く言うな。兄弟のことを悪く言い兄弟を裁く者は、律法を悪く言い、律法を裁く者である。(ヤコブ4,11)

優しい応答は怒りを収める。激しい応答はそれをあおる。(箴言15,1)