お知らせ

能登半島地震

カトリック名古屋教区では能登半島地震災害支援のために「カリタスのとサポートセンター」を立ち上げています。活動に関する最新情報はこちら
また、のとせんブログも随時更新中です。

福者ユスト高山右近殉教者記念ミサ

 福者ユスト高山右近殉教者は大名の立場にありながら夜の富や名誉、権力に打ち克ち、神の愛がまことの救いであることを生涯にわたって証し続けました。このことは、現代の私たちにもきわめて大切なメッセージです。私たちの信仰を強め、福音宣教への力となるよう取次ぎを求めて祈りを捧げて参りましょう。

  • 2026 年 2 月 7 日(土)
    • 講話:10:00〜
    • ミサ:11:00〜

輪島新教会献堂式ミサ

能登半島地震の影響で全壊となり、かねてより再建準備をしてまいりました輪島教会の新聖堂の献堂式ミサが 2025/9/27 に執り行われました。輪島教会の皆さんのため、またこれからの被災地の復興のためにっも、心を合わせてお祈りいただければ幸いです。
ミサの様子はこちら

神父様からのメッセージ

ユスト高山右近

 2 月 3 日は、福者ユスト高山右近殉教者の記念日です。そこで右近にゆかりのある金沢教会では、毎年 2 月の第一土曜日(司教様の都合で変わることもありますが)に、右近の記念ミサをおこなっております。

 昨年は、日本の二つのテレビ局(テレビ金沢と BS11)とアメリカの EWTN という世界的な有線放送局が右近をテーマにした番組制作のために、金沢教会に来られました。右近ブームが巻き起こるかどうかは分かりませんが、列聖に向けて、高山右近への関心が高まることが期待されます。

 ところで、皆さんは高山右近についてはどの程度ご存じでしょうか。1543 年生まれとすると、10 歳のときに洗礼を受けています。その受洗は父ダリオ高山飛騨守によるものです。ダリオ夫人や家族、それに 150 人ほどの家臣が一緒に洗礼を受けたと言われており、右近も自分の意思には関係なく、キリスト教徒になったと言えます。

 しかし、彼の心の中に蒔かれた信仰の種は、戦国の荒波の中で見事に成長していきます。ここでは詳しく述べることはできませんが、1573 年には和田惟長の高山父子暗殺未遂事件があります。闇の中での切り合いとなり、右近は首の半分を切断されるという瀕死の重傷を負いますが、奇跡的に回復します。1578 年には直接の主君である荒木村重の織田信長への謀反があります。妹と息子を人質に取られていた右近は、苦渋の選択を迫られます。ゲッセマネの園のキリストのように、城内で必死に祈り、その結果、彼は死を覚悟し、死装束で信長の前に出ます。1587 年には豊臣秀吉が伴天連追放令を発令。棄教を迫られた右近は、明石 4 万石の大名の地位を捨てます。この時のすばらしい言葉が遺されています。

 1614 年には、徳川家康の禁教令が出され、右近は国外追放の処分を受けます。前田利家に客将として迎えられ、26 年間いた金沢を、旧暦 1 月 26 日(2 月 11 日)、真冬の雪の中、家族と共に去ります。長崎からは貧弱なジャンク船で 20 日間かけてフィリピンにたどり着きます。この時、マニラ湾では祝砲が打たれ、市民から熱烈な歓迎を受けます。スペイン総督は右近に一定の禄を与えようとしますが、彼はそれをきっぱりと拒絶します。

 その後、熱病にかかり、40 日後、2 月 3 日に死去。波乱に満ちた 63 歳の生涯を閉じます。

 第二ヴァチカン公会議後、信徒使徒職という言葉が使われるようになりましたが、右近こそ、日本における信徒使徒職の第一号ではないでしょうか。

パウロ 九里 彰 神父

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